小見 明之さん
( 陸上自衛隊 第8師団
第42即応機動連隊 連隊長 )
本年は二月の、とある日。
渡米を週明けに控えていたと
記憶しています。
ふと懐かしい顔が我が店を
訪れてくれました。
実に6年ぶりでしょうか。
彼は第1普通科連隊で実施された
第25期レンジャー教育の同期。
同期であり、何より私のバディ。
そして現役の陸上自衛官です。
そもそもこの場合のバディとは。
レンジャー教育では二人で一組の
編成がとられます。
仮に10人の隊員であれば
5組のバディ。
相棒となった暁には教育の期間中、
二人は常に一緒。
無論の事、全員で行動を共にするのが
大前提としてありますが。
それでもバディは特別です。
寝起きは各組ごとの上下2段ベット。
これ基本です。
食事も風呂も。
ちなみに、トイレはどちらかが
済むまで入り口で待機。
毎日バリカンで、双方を五厘刈りの
状態を保ちます。
また互いの襟足を剃刀で整え合い。
訓練時も同様。
どちらかがミスをすればバディの
連帯責任となり。
二人して同時に何らかの罰が
与えられる。
等々、まだまだありますが
本当にきりがありません。
それ程お互いに、生活の全ての時を
費やす存在なのです。
レンジャー教育時の小見氏。
当時の旧姓は大橋でした。
その意識が未だにぬけず、どうしても
" 大橋 " と呼んでしまいます。
私だけではなく、同期の全員も。
それは本人も心得ておりますが。
バディは階級の異なる者どおし、また
同じ階級であれば序列の上下で編成。
しかし、私と同氏だけは全てが同じ。
場所は違えど、昭和61年3月入隊。
いわゆる同期の桜。
当時では珍しい同期バディでした。
彼は同時に夜間の大学生。
それでもレンジャー教育の期間だけは
3ヶ月長の休学です。
その様なハンデを物ともせず、のちに
大学を無事に卒業されました。
私は4年の任期を終え退職しましたが
相棒は現職を継続。
晴れて陸曹となり、レンジャーの助教
( インストラクター )も歴任。
数年後には幹部となり尉官の道へ。
そののちはエリート街道をひた走り。
上級幹部ともなれば、全国へ津々浦々
幾多の転属を繰り返されながら。
気が付けば、一段階上の階級となる
佐官に昇進されて、、、。
当階級の最上位となる1等陸佐です。
その先は陸将補、次に陸将。
頂点は陸上幕僚長。
当然ながら海上、ならびに
航空自衛隊も同じく。
などと私は簡単に申しておりますが。
これは凄い事。
本人は防衛大学の出身では
ありません。
一般入隊から現在の地位まで
こられたのですから。
生意気ながら、実に誠実で欲深くない
氏の人柄がここまで導いてくれた。
だからこその、生粋のたたき上げ。
この言葉が似合う男も、
そうはおりません。
現在は昨年の12月より、熊本は
第42即応機動連隊へ配属。
連隊長を務められております。
文字どおり連隊のトップ。
私が説明するまでもないかと。
当連隊は、新たに改編された最新鋭の
部隊とうかがいました。
本人はその本格的な船出を託された。
やはり凄い、この男は。
話は冒頭に戻りますが、先日は出張で
防衛省へと来られた際、多忙の中を
会いに来ていただいた次第です。
レンジャー教育の始業式、縁あって
初めての出会い以来。
33年の歳月が経とうとしています。
当時の二人は同級生の19歳。
お互い若かったですから。
仲が良いだけの間柄だけでは
決してありませんでした。
何度も言い合いにもなり、険悪な
状況に陥った事も多々あります。
それでもどれ程、誰よりも心強い
存在でもあるか。
それは全てのバディに
共通する想いとも。
だからこそ相手を全幅に信頼し、
尊重も出来る。
特殊部隊の世界に少しだけ身を置き、
想像もし得ない経験のなかで、
身を持って感じ学びました。
小見君、私は本当に誇りに思います。
僭越ながら、あなたは自慢のバディ。
いつだってそう想っていた。
今も、これからも。
永年勤続30年以上が過ぎてもなお、
自衛官である事に誇りを持たれ、
残りわずかとなった現役での
職務を全うされてほしい。
関東の部隊で指揮をとられる事が
あれば良いのですが。
こればかりは私の勝手な
願望です、、、。
また会おう。
レンジャー同期会へ顔を出してくれ。
楽しみにしています。
第42即応機動連隊
JGSDF 42nd
Rapid Deployment Regiment
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