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Saturday, November 30, 2024

冬を前に、レンジャー戦闘隊の帰還。

第54期 富士教導団レンジャー
                              集合教育
      
担任 富士教導団
  ( 滝ケ原駐屯地 静岡 )

       令和6年11月7日



第6師団レンジャー集合教育
      ( #期数不明 )

担任 第22即応機動連隊
  ( 多賀城駐屯地 宮城 )

      令和6年11月29日

Sunday, December 12, 2021

そして本年も、新たなレンジャー候補生が挑む。

 
第8師団レンジャー集合教育
      ( # 期数不明 )

担任 第42即応機動連隊
     ( 北熊本駐屯地  )

     令和3年9月13日 ~


レンジャーとは。
 
それは全国の師団および旅団に属した
各連隊で実施される、陸上自衛隊では
究極の集合教育。
 
いや、現存する陸海空、そして新たに
発足した海兵隊。
 
全自衛隊の教育過程で。
 
そう称しても過言ではありません。
 
何故なら、如何なる所属であろうとも
特殊部隊員となる為には、当資格を
有せなばならないからです。
 
とはいえ、老兵の持論はここまで。
 
一昨日、想いの丈を綴りました
我がバディ。
 
小見 1佐が率いる鎮西機動師団、
第42即応機動連隊では、本年も
レンジャー集合教育を開始。
 
 
 
 
 
 
 


 

第42即応機動連隊

Friday, December 10, 2021

我がバディ、小見連隊長よりレンジャー・バッチを授与。 戦闘隊の帰還 其の拾壱。

第8師団レンジャー集合教育
      ( # 期数不明 )

担任 第42即応機動連隊
     ( 北熊本駐屯地  )

    令和2年11月13日




レンジャー帰還式

連隊長の小見 1等陸佐(右)より
レンジャー徽章を授与される
隊員の皆さん
 
 
 
経験した者にしか分からないのです。
 
一ヶ月強に亘る生存、及び実戦訓練。
 
その最終想定を終え、皆無事に戻って
まいりました。
 
気丈に振舞うも、精根尽き果てる
一歩手前。
 
されど駐屯地へと帰還した隊員達は、
ほぼ全員ともいえる多くの出迎えに、
究極の戦士としての炎が再び点火。
 
向かう先は最高司令官の連隊長。
 
小見 1等陸佐のもとへ。
 
何を隠そう、氏は私の第1普通科連隊
第25期レンジャー教育時の同期。

そして誇りあるマイ・バディです。
 
第42即応機動連隊へは、一昨年の
12月より着任。
 
なれば此度、当連隊では最初となる
部隊レンジャー教育を見守る立場。
 
受け手と送り手、35年前とは真逆の
立ち位置。
 
重責はもちろんあれ、一人ひとりに
レンジャー・バッチを授ける任務は、
感慨もひとしおだった事でしょう。
 
生意気ながら、やはり自慢のバディ。
 
現在、平時には眼鏡をかけている
ご様子。
 
かくゆうこの小生も、真面目に必要と
なってきたでしょうか、、、。
 
何より学生の隊員皆さん、本当に
本当におめでとうございます。
 
晴れて正規の特殊部隊員。
 
鎮西機動師団に、新進気鋭の
レンジャーが誕生しました。
 
 
 
 
 
第42即応機動連隊

Thursday, July 8, 2021

戦闘隊の帰還。

Wednesday, July 7, 2021

RANGER

Monday, April 26, 2021

連隊長ならびに駐屯地指令を兼任の雄姿。

第8普通科連隊 第37代
連隊長兼 米子駐屯地指令
小見 明之 1等陸佐
( 米子駐屯地 )

平成26年 8月5日 

~ 平成28年 7月31日

Wednesday, February 10, 2021

戦闘隊の帰還 其の拾。

Monday, November 2, 2020

リーコン・レンジャー

Monday, August 31, 2020

Very Old JGSDF RANGER Insignia



 陸上自衛隊 レンジャー有資格者
     戦闘服用徽章
          ( 非現行品 )

Tuesday, August 25, 2020

AKITA RANGER UNIT



第9師団 第21普通科連隊所属
レンジャー隊員の皆さん


秋田駐屯地 創立 67周年記念祭
     2019年 9月 22日

Friday, June 26, 2020

戦闘隊の帰還。

Tuesday, April 7, 2020

戦闘隊の帰還。

Friday, March 27, 2020

代々受け継がれる、空挺レンジャーフラッグ。

第 1空挺団
レンジャー集合教育課程 隊旗

* 画像の集合教育年、また
  期数は不明

担任 第 1空挺団
     ( 習志野駐屯地 )

Thursday, March 26, 2020

遊撃隊。

Sunday, December 15, 2019

戦闘隊の帰還。

Tuesday, November 5, 2019

新たな山岳レンジャーが誕生 其の玖。

第12旅団隷下 レンジャー集合教育
             ( #期数不明 )

担任 第13普通科連隊
     ( 松本駐屯地 長野 )

       令和元年11月1日
 

Thursday, September 5, 2019

戦闘隊の帰還。

Saturday, June 1, 2019

特殊部隊員であるがゆえ。

「 日本の特殊部隊 」
( 株式会社SATマガジン出版 )



陸上自衛隊 特殊作戦群
JGSDF Special Force Group
                              : SFGp

                                         
               
2004年、陸上自衛隊に特殊部隊と
定義された部隊が設立されました。

その名称は " 特殊作戦群 "。

隊員の着用する、主たる戦闘服は
「 戦闘服市街地用 」。
 ( 2番目画像 )

市街地戦に限らず、あらゆる状況下を
想定した任務遂行も経験済みは明白。

隊員専用の様々な戦闘服や装備が
開発されていることでしょう。


陸上自衛隊レンジャーは、技能を
養成し取得する教育であり、
常設部隊ではありません。

長年この部隊化という、一線だけは
越える事がなかったのですが。

日本にも特殊部隊が誕生したのです。




             
特殊作戦群について、詳細の多くは
一切公表されておりません。

秘密裏に徹底した情報管理が
なされています。

その存在自体が明かされただけでも、
かなりの衝撃ですので。

よって隊員の皆さんも、公の場に
姿を見せる場合は目出し帽を着用。
   ( 1 , 3番目画像 )

それ以前に、当部隊の世間への露出は
本当に限られた場合のみ。

当然かと。

世界の軍、および警察等の特殊機関に
所属する者は皆同様。

これこそが特殊部隊です。

Sunday, May 26, 2019

My Buddy 19のままさ。



小見 明之さん
( 陸上自衛隊 第8師団
    第42即応機動連隊 連隊長 )

                                      
本年は二月の、とある日。

渡米を週明けに控えていたと
記憶しています。

ふと懐かしい顔が我が店を
訪れてくれました。

実に6年ぶりでしょうか。

彼は第1普通科連隊で実施された
第25期レンジャー教育の同期。

同期であり、何より私のバディ。

そして現役の陸上自衛官です。


そもそもこの場合のバディとは。

レンジャー教育では二人で一組の
編成がとられます。

仮に10人の隊員であれば
5組のバディ。

相棒となった暁には教育の期間中、
二人は常に一緒。

無論の事、全員で行動を共にするのが
大前提としてありますが。

それでもバディは特別です。

寝起きは各組ごとの上下2段ベット。

これ基本です。

食事も風呂も。

ちなみに、トイレはどちらかが
済むまで入り口で待機。

毎日バリカンで、双方を五厘刈りの
状態を保ちます。

また互いの襟足を剃刀で整え合い。

訓練時も同様。

どちらかがミスをすればバディの
連帯責任となり。

二人して同時に何らかの罰が
与えられる。

等々、まだまだありますが
本当にきりがありません。

それ程お互いに、生活の全ての時を
費やす存在なのです。




                     
レンジャー教育時の小見氏。

当時の旧姓は大橋でした。

その意識が未だにぬけず、どうしても
" 大橋 " と呼んでしまいます。

私だけではなく、同期の全員も。

それは本人も心得ておりますが。


バディは階級の異なる者どおし、また
同じ階級であれば序列の上下で編成。

しかし、私と同氏だけは全てが同じ。

場所は違えど、昭和61年3月入隊。

いわゆる同期の桜。

当時では珍しい同期バディでした。


彼は同時に夜間の大学生。

それでもレンジャー教育の期間だけは
3ヶ月長の休学です。

その様なハンデを物ともせず、のちに
大学を無事に卒業されました。

私は4年の任期を終え退職しましたが
相棒は現職を継続。

晴れて陸曹となり、レンジャーの助教
( インストラクター )も歴任。

数年後には幹部となり尉官の道へ。

そののちはエリート街道をひた走り。

上級幹部ともなれば、全国へ津々浦々
幾多の転属を繰り返されながら。

気が付けば、一段階上の階級となる
佐官に昇進されて、、、。

当階級の最上位となる1等陸佐です。

その先は陸将補、次に陸将。

頂点は陸上幕僚長。

当然ながら海上、ならびに
航空自衛隊も同じく。

などと私は簡単に申しておりますが。

これは凄い事。

本人は防衛大学の出身では
ありません。

一般入隊から現在の地位まで
こられたのですから。

生意気ながら、実に誠実で欲深くない
氏の人柄がここまで導いてくれた。

だからこその、生粋のたたき上げ。

この言葉が似合う男も、
そうはおりません。



                          

現在は昨年の12月より、熊本は
第42即応機動連隊へ配属。

連隊長を務められております。

文字どおり連隊のトップ。

私が説明するまでもないかと。

当連隊は、新たに改編された最新鋭の
部隊とうかがいました。

本人はその本格的な船出を託された。

やはり凄い、この男は。

話は冒頭に戻りますが、先日は出張で
防衛省へと来られた際、多忙の中を
会いに来ていただいた次第です。


レンジャー教育の始業式、縁あって
初めての出会い以来。

33年の歳月が経とうとしています。

当時の二人は同級生の19歳。

お互い若かったですから。

仲が良いだけの間柄だけでは
決してありませんでした。

何度も言い合いにもなり、険悪な
状況に陥った事も多々あります。

それでもどれ程、誰よりも心強い
存在でもあるか。

それは全てのバディに
共通する想いとも。

だからこそ相手を全幅に信頼し、
尊重も出来る。

特殊部隊の世界に少しだけ身を置き、
想像もし得ない経験のなかで、
身を持って感じ学びました。


小見君、私は本当に誇りに思います。

僭越ながら、あなたは自慢のバディ。

いつだってそう想っていた。

今も、これからも。

永年勤続30年以上が過ぎてもなお、
自衛官である事に誇りを持たれ、
残りわずかとなった現役での
職務を全うされてほしい。

関東の部隊で指揮をとられる事が
あれば良いのですが。

こればかりは私の勝手な
願望です、、、。

また会おう。

レンジャー同期会へ顔を出してくれ。

楽しみにしています。





                 
第42即応機動連隊
JGSDF 42nd
          Rapid Deployment Regiment

Monday, April 1, 2019

時代は変われど。


                                               
時は昭和31年、陸上自衛隊に
レンジャー過程が発足。

当初は選抜された部隊に所属する、
限られた隊員のみによる開始。

正式に部隊集合教育として、全国の
各普通科連隊での開講は昭和49年。

そして幾多の年代を経て
現在へと至ります。


中間期にあたる我々の頃に比べ、
その進歩は様々に。

装備や武器であり、また編成に
戦術しかり。

格段に進化を遂げてきました。

それは至極当然の事。

ただし、どうしても不変なものが
あります。

「 最先端 」、「 ハイテク 」なる文言が
昨今の支流であろうとも。

究極の困難や限界に挑む者の魂が。

遥か古来より伝来する、それは原始な
生き方とともに。

そこには先人の方々より受け継がれる
精神が今も脈々と宿っているのです。